このHPのトップページに「他人の視線をデコレートする発想」とありますね。きっとお客様の中には「いったいなんのこっちゃ?」「また、オリハシは難しいこと言っちゃって・・・」と思われることでしょう。すみませんm(_ _)m
この言葉はオリハシが「とてもいいなあー」「かっこいいなー」と思った本からの言葉なんです。(オリハシは自分がいいと思ったらすぐに取り入れてしまうのです。。。けっこう風見鶏的なとこもあります。)
それは「哲学を着て街を歩こう」(鷲田清一著)という本です。哲学なんて堅そう、暗いって思われるかもしれませんが、鷲田さんはファッション関係の著作も多くて、語り口は解りやすいんです。(臨床哲学系はちょっと難しかったです。)
ちょうど、Nakoolをやり始める半年ぐらい前に読んだので、25.6歳だったと思います。オリハシは前アパレル会社では元気だけが取り柄の数字の出来ない営業マンでした。その年はファッションの仕事についてほんとに深く考え、自分自身悩んだ年でした。
結局、鷲田さんが言いたいことは「ファッションにぜんぜん気がいかない人はかっこよくないが、ファッション、ファッション・・・とそれしか頭にない人はもっとかっこ悪い。」ということなんです。
ん?なんのこと?って思いますよね。つまり、上記の二つ、一見反対のことのようで、じつは同じ態度を意味してるんです。他人がそこにいないんですよね。または、他人に自分がどのように映っているかという、そういう想像力の働きが、欠けてるんです。オリハシは「これだ!」って思いましたよ。
ファッションは自己表現だけに留まらないんですよね。流行を追ってるだけの自己表現なんてどうなんでしょう?
お洒落というのは、自分を着飾るということだけじゃない。。。むしろそれを見る人への気配り、思いやりだと考えると、服を選ぶときのセンスが変わってきますよね。つまり、他人の視線をデコレートするという発想をどこかに取り入れること、そういうホスピタリティや、サービス精神がファッションで一番大切な要素なんじゃないかとオリハシは思うんです。
別に難しく考えなくていいんです。自分の体にあうサイズを選ぶことだって他人の視線を意識してます。今度の飲み会や合コンはこのTシャツ着たらみんなにうけるかな?とか、時には、いつもと違うカラーを着てみんなの視線を集めようかな?とか、場合によっては目立たなくすることが必要でしょう。
そういう着て行く場所や、そこで会う他人の視線のことを考えるだけで、洋服が楽しくなるし、買い物しているときの心は豊かなものになるとオリハシは思うんです。
ちょっと、語ってしまいましたが、実際、Nakoolのお客様は自分なりに編集している方が多くて、オリハシは誇りに思います!。「どっちが僕に合いますか?」とか、「どれがお勧めですか?」とは聞かれても、「どれが流行ってますか?」とはほとんど聞かれませんから。。。
学生の方も社会人の方も、みなさん、自分のイメージやおもいをオリハシにぶつけてくださいますから、本当に感謝しております。ありがとうございます。
Nakoolはそういう皆さんの視線を意識してデコレートするために、Nakoolらしさを再編集し続けます。