4年くらい前、「部分と全体」(W. ハイゼンベルク著)という本を読んだんですけどね。
ハイゼンベルクなんて聞いたこともなかったし、
「素粒子物理学?、量子力学?」いったい何のこっちゃ?って感じなオリハシですが、とにかくその「部分と全体」というタイトルに惹かれて読んでしまったんです。
さらに目次を見ると、「量子力学とカント哲学」とか、「素粒子とプラントン哲学」とか、なんだか、おもしろそう!って気がしたんですよね。
科学や物理学と哲学ってその対比が、新鮮な感じがしたんでしょうね。
でも、やっぱり期待は見事に裏切られ、というか、いささかオリハシのアタマではよくわからん!というわけで(やっぱりね。)タイトルが何で「部分と全体」なのか?すら理解できないでいました。
ここ数年、もやもや感があったのですが。。。
最近、少し光がさしたのかな?っていう文章に巡り会えました。
以下に少し引用させていただきます。
オリハシの尊敬する松岡正剛氏は次のように言っていました。
「そもそも細部を積み重ねていくと細部を統合した真実が生まれるという考え方の方がおかしい。
我々は、細部も全体も見ることはできるが細部を見ながら全体を同時に見ることはできない。
『木を見ると森は漠然となり、森を見ているときは木を細かくは見ない』
~我々はどんなことも「代わる代わる」に見るしかないようになっている。
真実らしいものがどこかにあるとすれば、それは「かわる」と「がわる」のあいだにあるはずなのだ。
いや、そこにしかないはずなのである。」
これをファッションでオリハシは言ってみたいんです。
(話は解ったみなまで言うな。と言いますが、解らないことを書きたくなる欲求から
逃れられないオリハシです。)
細部=部分=パーツ⇒各アイテム
全体=コーディネート⇒スタイリング
コーディネートとスタイリングの違いはオリハシ理論でザックリ言うとこうです。コーディネートは組み合わせ、スタイリングは着方
つまり、同じコーディネートでも、着方やその人の髪型などに寄っても違いますよね。あえて、サイズをルーズにしたり、タイトにしたり、
オリハシ的な区別はそういうこと。
で、ここからが本題です。
各アイテムのどこかが主張してると、「その服いいね、かわいい。」と服を褒められる。全体のスタイリングがいいと「センスいいね。」とその人が褒められる。
ということにみんなあまり気づいていない。
どちらがいい、悪いではなくて、その案配を意識して、自らコントロールするところにファッションのおもしろさがあるとオリハシは思うんです。
部分部分、各パーツはいいモノ着てるのに、なんかよく見えないぞ!って場合もありますよね。
やっぱり、「かわる」と「がわる」のあいだに何かがあるんですね。