お客さんとして、Nakool に来ていてこんなことを感じたことは
ないでしょうか?
「あれ?オリハシさん、俺の時と話し方が違うなぁ。。。」と。
これは以前にも日記に書いたことがあるけどね、
相手をするにあたって、言葉の「てにおは」はもちろん、
声の大きさ、ト-ン、相手との距離、ですます調。丁寧語。友達言葉。。。と
いろいろその人にあわせて変えてるんです。
いや、正確にいうと変わっちゃう。。。そういう性分なんです昔から。。。
そんなオリハシでも「げっ!マジっすか?」って思うこともあったんです。
それは以前の会社にいたとき、
諸先輩がたが、電話口でこんな会話してるんです。
「もしもし。あっ?ママ?うん。大丈夫!さっきの商品あったから
送っておくね~」(じゃぁ、またね~。。。とここまでは言わない。)
商品の卸先はね、「かなりアッパ-なミセスゾ-ン」の専門店だったんで、
そういうお店は、やっぱり当時の自分の母親に相当するぐらいの
おばさまが多かったわけ。
で、その店(ブティック)では「ママ」なわけですよ。
みんなそう呼ぶんです。
(たまにスナックも経営してて、ほんとにママな人もいたけどね。)
いやぁ、まいったなぁ。生まれてこの方、母親のことをママって呼んだことなかったし、それにもつけて、返事は「はい!だろ!」と育てられたオリハシ。
出来るかなぁ~
かなり不安だったし、最初に電話で
「OOのオリハシですぅ。あ?ママ?どう?調子は?」
なんて発したときは照れくささで顔面真っ赤!(相手には見えてないけど。)
まぁ、2ヶ月ぐらいたって、気づいたら余裕でやってましたけどね~
そこで覚えたのは様々な人格を演じるってこと。
これが意外とおもしろい!自分らしいしゃべり方なんてないね!
今ならキッパリそう断言できます。
いろんな先輩の話し方とか、ワ-ディングとか、盗みまくりでしたよ。
実はライフログに追加しようと思ってた本で
ずばりオリハシが影響を受けた本があります。
「おじさん」的思考(内田樹 晶文社 2002)です。
この人、某女子大の教授さんなんですけどね。めちゃおもしろいおじさん。です。
ちょっと長くなるけど、引用します。
~私はパ-ソナリティの発達過程とは、人格の多重化のプロセスである、というふうに考えている。幼児にとって世界は未分化、未文節の混沌である。幼児にとって世界との接点はもっぱら粘膜であり、その対象は人間であれ、食物であれ、「快不快」を軸にカテゴライズされている。
もう少し大きくなると、ある人間と別の人間では、メッセ-ジに対する受容感度が異なることに気づくようになる。コミュニケ-ションをうまくすすめるためには、相手が変わるごとに、発声法や、言葉使いや、ト-ンや、語彙を変えた方がいい、ということを学習する。
例えば、母親に向かって語りかける言葉と、父親に向かって語りかける言葉は、別の「ソシオレクト」に分化しそれぞれ発達してゆく。
コミュニケ-ションの語法を変えるということは、いわば「別人格を演じる」ということである。
相手と自分の社会関係、親疎、権力位階、価値観の親和と反発・・・・・・それは人間が二人向き合うごとに違う。その場合ごとの一回的で特殊な関係を私たちはそのつど構築しなければならない。
場面が変わるごとにその場にふさわしい適切な語法でコミュニケ-ションをとれるひとのことを、私たちは「大人」と呼んできた。
そのような場面ごとの人格の使い分けをかつては「融通無碍」と称した。それが「成熟」という過程の到達目標のひとつであったはずである。
しかるに、近代のある段階で、このような「別人格の使い分け」は、「面従腹背」とか「裏表のある人間」とかいうネガティブな評価を受けるようになった。単一でピュアな「統一された人格」を全部の場面で、つねに貫徹することが望ましい生き方である、ということが、いつのまにか支配的なイデオロギ-となったのである。
「本当の自分を探す」、「自己実現」というような修辞は、その背後に、場面ごとにばらばらである自分を総括する中枢的な自我がなければならない、という予断を隠している。
その予断ゆえに、いま私たちの社会は、どのような局面でも、単一の語法でしかコミュニケ-ション出来ない人々、相手の周波数に合わせて「チュ-ニングする」能力がなく、固定周波数でしか受発信することができない、情報感度のきわめて低い知性を大量に生み出している~
どうでしょうか?
自分にもちょっとドキっとすることがあります。
「あ~おれは大人じゃないな。」と痛感し、
かつ、こういう大人なりたいな。とも感じずにはいられない感覚があります。
特にね、洋服、ファッションなんてものを売ってる人ですから、わたくし。
洋服には自分らしさを込めるけど、コミュニケ-ションには半開きで内面なし。
きっとそれが、お店に温度差やリズムを生み出すんじゃないかなぁ~って考えています。
つまり、外見はちょっときつそうだけど、内面はフレンドリ-なんだね。ってやつ。
外見はお店の外観や置いてある服、内面はオリハシ。
そうです。服は、物言わずとも語ってくれる。そういう服を仕入れてると自負しています。
以前いたアパレルの社是だったかな?経営理念だっかたか?
どっちか忘れちゃったけど。。。その言葉は今でも覚えています。
「もの言わぬものに、もの言わす、ものづくり」
いやぁ、今日は長くなっちゃったな。。。すいません