昨日の日記の続きです。
タイトルからして惹かれちゃいました。
2002年に初版された本なのでちょうどオリハシ30歳。
いい歳です。
やっぱり職業柄、見た目が若く見られるけど、
やっぱり人は中身でしょう!というのがオリハシの本音。
見た目が若くて、さらに会話してみると。。。
「まだまだガキんちょなんですね~」という業界人は少なくない。
オリハシはそう思われるのが嫌だった。
知性を感じない業界人にはなりたくない。というのが正直なところ。
断っておくと、知識と知性は違います。
まぁ、ともかくこの本に出会ったのは大きい。
たぶん、この本に出会ってなかったら、この「オリハシ日記」は続いていません。
すごく自分をさらけ出してる感がなんか肌に合わない気がしていたんです。
なんだか露出狂みたいで。。。(実際、脱ぎ芸は得意でした・・・若かりしころね)
で、そんな考えをぶちこわしてくれたのがこの本。
今では、例えばね、大学生のお客さんが彼女をNakool に連れてきて、
初めて挨拶する。。。「あっ、どうも始めまして!OOくんにはいつも。。。」
「あっ、どうも。。。実は日記いつも読んでますぅ。。。」
みたいな会話になる。
するとオリハシは決まって「いやいやぁ。。。お恥ずかしい限りで。。。」
なんてアタマをかくけど、
実は「うれしくて、しょうがない!え?やっぱりO月O日のあの日記!
おもしろかったでしょ?」と心中うきうきしているのだ。
もちろん恥ずかしいことも多いが、それ以上にうれいしい。
なぜか?
実は、この「おじさん」的思考の著者、内田樹氏もブログを公開している。
(この本はそのブログからの抜粋・修正・編集されたものだ。)
そして、その「気恥ずかしさ」について実に名回答をこの著作のなかで披露している。
今日は内田氏の文脈になぞって、オリハシで表現してみたい。
~あのね、私のホ-ムペ-ジで「オリハシ」といっているのは「ホ-ムペ-ジ上の
折橋知治」なの。あれは私がつくった「キャラ」である。
あそこで私が「・・・した」と書いてあるのは、私が本当にしたことの何万分の一
かを選択し、配列し直し、さまざまな嘘やほらをまじえてつくった「お話」なのである。
「オリハシ」はと語っている「私」は私の「多重人格のひとつ」にすぎない。
そういう簡単なことが分からない人がたくさんいる。
私が様々なネット上において匿名で書かないのは、そのせいである。
私は匿名で発信する人が大嫌いだけど、それは「卑怯」とかそういうレベルの
問題ではなく、「本名の自分」というものが純粋でリアルなものとしてどこかに
存在している、と信じているその人の妄想のありかたが気持ち悪いからである。
私は「折橋知治」という名前で発信してまるで平気である。
それは自分のことを「純粋でリアルな存在」だと思ってなんかいないからである。~
いやぁ、この本のインパクトはすごかったです。