道ばたにだんだんと積もってきたよ、白~く。
こんな静かな土曜日は、時事ネタでもいってみようかね。
ライブドア?!
そもそもオリハシは「儲けるが勝ち」というようなことを
豪語する経営者、ビジネスマンを信用しない。
「あ~ぁ、言っちゃったよ。それを。」といつも思う。
あそこまで簡単に言い切っちゃうのは多分、小商人の僕とは対局の
考えのもとにビジネスを展開してるんだな。
一年くらい前にブログで紹介した「反戦略的ビジネスのすすめ」の
著者:平川克美氏のブログで、次のようなコメントが掲載されていました。
多少長いけど、引用させて頂きます。
ビジネスについての考え、とても光るモノがあると思います。
大学生や、20代の若いサラリ-マンにも是非、読んでもらいたい。
もちろん、オリハシと同世代にも。
分からないまでも感じて頂きたいのです。
———————————————————-
「・・・・・・・・・・・・・堀江が、
わずか数年で大金持ちになったということに対して、
やれ勝ち組だとか、天才だとかといって
おだてあげるつもりは、俺には寸毫もないが、
いかさま師だとか、お調子者だとか言うつもりもない。
金を集めるということには、
甘い言葉で言いくるめたり、
明るい未来を屈託無く語る天真爛漫だとか、
法律の抜け穴を渡ってゆく世知は、
必要なものであっても、
指弾されるべきものではないからである。
堀江は、錬金術師に喩えられるが、
泥を集めて金に変えたわけではない。
多くの人間が自分の欲望に急き立てられて
彼に賭け金をすすんで置きに行ったのである。
賭博師にとって
風説の流布という称号は、名誉だといってもいい。
しかし、俺は
堀江をビジネスマンであるとは思っていない。
彼を新しいタイプのビジネスマンであり、
市場原理の申し子だといって
おだて上げ、選挙の場で猿回しの猿の役回りを与え、
真正の起業家精神のロールモデルのように
担ぎ上げようとした、事業家、政治家、
金融家、観衆たちは、いったい何処を見ているのかと思う。
俺にとって、
ビジネスの現場とは、
商品をつくり、その商品という言葉を通じて
顧客と出会う場所である。
堀江は、
どのような意味においても、
その商品をつくってはいないのである。
彼が作っているのは
仕掛けであり、罠であり、ビジネスモデルと呼称される
ものである。
そこには、カモはいるが、起業家が出会うべき
顧客はいない。
商品と顧客がいない金の流動や蓄積を
ビジネスと言ってはいけないのである。
何度も書いてきたことだが、
ビジネスの現場では
二重の交換が行われている。
商品とお金という目に見える交換と
誠意と信頼という目に見えない交換である。
この二重の交換の意味が分からないと、
ビジネスとは限りなく、詐欺に近いものになる。
ビジネスの中に
勧善懲悪の倫理を持ち込むことは、
ビジネスを上等下等に振り分ける
差別主義に行き着くか、ビジネスそのものを
否定しながら誰かに養ってもらっている偽善者に
なるしかないのである。
オープンソースのビジネスで口を糊している俺は、
どうやったらこのアポリアを越えられるのかと
考えたことがあった。
本来オープンソースとビジネスとは、同じ起源を持つ
人間の発明したコミュニケーションの別名なのだが、
案外ビジネスそのものを否定しちゃう人も多いのである。
詐欺師も、
正義派も見落としているのは、
この二重の交換ということである。
見えるものしか見ていないから
風説という見えないものに踊らせられる。
まっとうなビジネスの場所では、
見えるものを交換して見えないものを蓄える。
見えないものが、交換を繰り返させる。
ビジネスの倫理とは、
人を騙さないということではない。
そこにどんな世俗の倫理も持ち込まないで
交換のプロセスに倫理そのものが立ち上がる
まで交換を繰り返すということである。・・・・・・・・・・・・・・・・」
———————————————————–
どうでしょう?
これを踏まえてるとね、ビジネスにおいて
「儲けるが勝ち」ってちょっと違う文脈じゃないのか?
と思うよね。
珠玉の名言。。。
「カモはいるが、起業家が出会うべき顧客はいない」
「商品と顧客がいない金の流動や蓄積を
ビジネスと言ってはいけない」
「見えるものを交換して見えないものを蓄える。
見えないものが、交換を繰り返させる。」
こういうことを言ってくれる人、なかなかいない。
そして、この部分、
「俺にとって、
ビジネスの現場とは、商品をつくり、
その商品という言葉を通じて顧客と出会う場所である。」
オリハシにとっても同じです。