「街的」ということ——お好み焼き屋は街の学校だ
江弘毅
講談社
おもしろい。
「地元」で商売をしているオリハシだからこそ
おもしろいと感じてしまうのかも知れない。
著者は京阪神地域の街とお店を紹介する
雑誌「ミーツ・リージョナル」元編集長だそうです。
よって、関西の街の話が中心なんですけどね、
でも、「街的」っていう語感がオリハシは好きです。
都会と街の違い。とかね、おもしろそうでしょ?
だってどう考えたって、武蔵小杉は都会ではなく、
「街」だと思うから。
オリハシがこのブログで一貫して言っている
「顔の見える接客」ということが書かれています。
それが「街的」である。と
自分の生活コミュニティがある場所、それを「地元」という感覚で
そう呼んでいる。それは単なる「消費の場所」ではない。
毎日前を通るブティックがあり、置かれている商品のブランドタグは
よくは知らないけれど、スタッフとは顔見知りだったり、いつも
どんな客が入っているかはわかる。そういう感覚が「地元」に
近いかもしれない。
(p23~p24)「地元」というのは、まさに自分が立っている地面そのものの
範囲の場所で、いつも「自分」に含まれている。
(p24~p25)
そうか、オリハシがやっていることは「街的」なお店か。。。なんて気づかされてしまう。
うん、いいね、それ。
街や店に、どこでもない何ものでもない自分の居場所がある、ということはとても
ラッキ-で幸せなことだ。
街に出て遊ぶということは、店で食べたり飲んだり遊んだりするという、
消費的な行為にプラスして、見知らぬ人の気配を感じながら「自分の居場所はどこか」と
探すことに違いない。(p134)
うむ、
そういうお店がたくさんあったら、武蔵小杉ももっと楽しい街になるのに。
絶対そうだよ。
ほんとに刺激的な本だったな、これは。