自分のことは意外と分からないものだ。
沖縄在住の友人がリニューアルオープン祝いにとある雑誌を送ってくれた。
(『遊』創刊号 工作舎 1971年)
内容の説明はわたしの知性・知識・筆力ではとうてい不可能。
なので、気になる人は→こちらを
お店に合うと思ったからオブジェとして飾ってください、とな。
おおっ、それはそれはありがとう!
なんだか、この雑誌、恐れ多い感じもするのですが。。。
でも、なんで「これ」なのか?
ちょっと気になったのでメールしてみた。
なるほど。
『遊』の創刊号の表紙、この「目玉」がオリハシのいう
「他人の視線をデコレートする」とダブったそうな。
視線は時に怖いものですが、時に自分を輝かせるものでもある、と。
わたくしオリハシの服飾に対する思いは、そんな「自分」を内(=内面)から、
そして外(=他人の視線)から輝かせてくれるものだ、と。
うん、自分で書いててこっぱずかしい気もするけど、
有り難い言葉だね。
自分のことは他人から指摘されて気づくことも多い。
気づかされて穴があったら入りたくなることばっかりだ。
それでも懲りずに吹っ切っていくわけだ。ホントにアホだと思うよ。
セレクトショップをやることって、あるいはお店を構えるということが。。。
どこかで自分自身をその面した通りに、言ってみれば社会に晒してるわけで。。。
すべて見られてる気がするんですよ。(自意識過剰だろうか?)
こうやって文章を書くことだって素っ裸でカラオケ歌うみたいに恥ずかしい。
そういう時だってあるよ。
素っ裸になるのが恥ずかしいから一生懸命筋トレしちゃうんだよ。
だけどさ、素っ裸になるのが筋肉隆々のマッチョより、ちょっと小デブぐらいのほうが笑えたりするのと同じように、文章もうまい文章が笑えるとは限らない。。。
それでも突き進んでいくさ。
気づかない自分について気づかせてくれる人と出会えるからね。