今日は先代である父の命日なのだ。
丸8年の歳月が過ぎた。
父のエピソードはこれまでもちょくちょく書いてきたが、
この新しくなったナクールで向かえる命日にあたって今宵、再度エピソードを綴ってみたい。
大学4年生の年末ころのお話。
4月から働くことになっていたアパレルメーカーはレディースがメインの会社だったこともあって父はその存在をまったく知らなかった。
もちろんオリハシ自身、ナクールと当時取引があったメンズのメーカーにはまったく行く気がしなかった。
やはり「父のよく知らない」レディースのメーカーで働きたかった。そして、SPA系のアパレルや百貨店メインのアパレルよりは個人あるいは数店舗展開の「専門店」をメイン卸先にしているアパレルを強く志望していた。だから取り扱うブランドがかっこいいとか、会社の知名度とか、そんなものはどうでもよかったのだ。
オリハシが欲望したのはただ一点。
「苦しい時代にもにもかかわらず生き残る専門店というのは、どのような方法に基づいた商売をしているのか?」
ということに尽きる。
話を戻そう。
そのアパレルに入社が決まって、4月からの研修のための本と自社のメンズのトレーナーが送られて来たのがその年の12月だったのだ。そう記憶している。
ちなみにトレーナーは後ろ身頃に派手な刺繍たっぷりで、ナクールのとり扱ってる服とは全くかけ離れたアイテムだった。。。父はその派手なトレーナーをニヤニヤと見ながら「すごいなぁ。。。これ」といいながらも寝間着にしていた。背中の刺繍部分がチクチク当たって痛くて眠れなかったようで、後ろ前逆にしてフロントに刺繍がくるようにして寝ていた。(笑)
自分自身、もし仮にメンズの部署に配属されて、こういう服を扱い、営業するんだったらどうしよう。。。と恐怖に晒されたのを記憶している。
本題はここからはじまる。
年明けの2月ごろだったろうか。。。
Natsukoさんがオリハシに
「お父さんは知治には見せるなって言ったんだけど。。。」
と一枚の便せんを渡された。
「お父さん、こんなの送っちゃったのよ~」とNatsukoさんの困った表情は今でも記憶している。
その文面は
拝啓からはじまり、なんと春入社する会社の社長宛のものだった。
「えっ?マジ?」硬直するオリハシ。
その下書きと思われる便せんに目を走らせる。
内容はざっとこんな感じだった。
「私どものせがれ、知治を採用して頂きありがとうございました。
また、このたびは研修用のトレーニング書、及びトレーナーを送って頂きありがとうございました。」と。
うむうむ、つまり礼状ですね。と少し安心して読み進めたが、最後に驚愕のフレーズがしたためてあった。。。いや、正確にはオリハシは笑ってしまったが。
とても父らしいフレーズだ。
「4月からは私どものせがれ、知治を煮て食おうが焼いて食おうがどうぞ好きなように使ってください」
と。
親として、同業界の人間として、
ある種、息子への決別にも近いメッセージなのだ。
オリハシは少なくともそう受け取った。
あの時にあの便せんを見ることが出来てよかったと思っている。
「決意と覚悟」を持って社会人になれた。
そう思っている。
実はこの新しいナクールにはミシンの他にも以前の旧ナクールから引き継いだ部品がある。それは入り口入ってすぐ右の壁面、先日の日記で紹介した泥団子を積み上げた壁の下地になっている煉瓦だ。
この煉瓦は、旧ナクールの入り口付近のものなのだ。
その煉瓦の一つに「ガッツビス」でオリハシ自身が彫り付けたものがある。
読める人には読めますね。
これは「これで生きてゆく!」というオリハシの覚悟です。
あの便せんはもちろん今でも持っています。