朝っぱらから熱いラジオ番組があるのをご存じだろうか?
TOKYO FMの朝5:00~8:30の「SKY」だ。
パ-ソナリティは石川實という人。みのるさんと読むそうです。
この人、なかなか朝からいいこと言ってくれるんですよ。
かかる選曲もグッド。
オリハシとしては軽くショックでした。某目覚ましTVのゆる~い感じに慣れていたから。(笑)ラジオって朝からこんな番組あるんだ。って。
で、今朝も、間違って鳴ってしまったアラームを止めるまでの間、つけっぱなしにしていたラジオから石川さんが語ってました。
「自由っていうのは第三者がいてはじめて得られるんだ。」みたいなことを。(もちろん僕だけの感覚かもしれないけれど。。。と前置きしてましたよ。)
おおっ、このフレーズどっかで最近読んだぞってオリハシは思うわけです。(そう、朝から全快だ。)
さらに石川さん、こう続けました。
「ダイヤモンドを研ぐためにはダイヤモンドでなければ研ぐことは出来ない。同じように人も人によって、つまり自分以外の第三者と関わるとこでなければとぎすまされない。つまり成長しないんだ。」と。
—若干、言葉遣いが違うかもしれませんが、だいたいこんな内容でした。
長いマクラになってしまったが、この本を最近読んだんです。
東京ファイティングキッズ・リターン
内田 樹 (著), 平川 克美 (著)
オリハシは両著者のファンであります。
内田さんは「おじさん」的思考、平川さんは反戦略的ビジネスのすすめで、以前のオリハシ日記でも紹介しました。
この本、お二人のダイアローグで綴られているのですが、確か平川さんの「自由の問題」についての考察だったと思います。
「第三者がそこにいる」という原事実こそが、僕たちの主体性と自由を担保している。
自分自身と向き合っているときは確かに最も自然状態の自己を見つめているわけですが、そこには自分が自分から抜け出せる出口というものがないわけです。
第三者による視線というものがなければ、自由とか主体性というものはそもそも意味を持ち得ない。
オリハシのことを「自分でお店をやってるからとっても自由だね。」という風に思う人も多いかもしれないが、それは違う。
いや、確かに自由だ。自由だがしかしオリハシ自身を自由たらしめているのは第三者からの承認を受けているから。
それがまるで螺旋状のように繋がっていく感覚の中に自由を見いだすことが出来るだな。
はて?とクエスチョンマークが浮かんでる人が多いかもしれないが、事実そうなんだからそうとしか申し上げようがないのだ。
すまない。
あっこの本、いいですよ。おすすめ。