内田樹氏の「下流志向」を読む。
帯には「最新ベストセラー」と銘打ってある。
ちなみにオリハシは筆者の著作は「おじさん的思考」以来のファンなのだ。すべてを購入しているわけではないが、たまにどうしてもこのかたの文章が読みたくなってamazonでクリックしてしまう。
この4~5年でどんどん売れっ子になってますね。
詳しい説明はamazomの商品説明に譲ります。例によってオリハシ自身がどんなインスピレーションを受けたのか?をちょっとだけ。。。
タイトルの「下流志向」というのはなかなか「流行」な言い回しだけど、「消費主体」と「時間」というのはこの本の重要なキーワードになっている。このあたりが、オリハシにとってかなり刺激的な内容。
例えば。。。
消費主体として、等価交換原理で生きる人間には決して表象できないものは何か?それは時間である。
時間は空間的に表象することができない。
とくる。さらに、
消費活動の基本は等価交換です。「等価」とは要するに「無時間」だということです。マルクスが言うように、貨幣と商品が等価であるということは空間モデルによってしか記述することができないからです。等価性というのは時間を捨象したときにはじめて成立する概念なのです。
う~ん、確かに。
だけど、それは商品の買回度によっても違ってくる。
例えば「服」の場合はさ、ある程度、その服を身にまとって誰かとデートしてる未来の時間を想像する、はずじゃないか?
その近未来の可能性への、ある種の跳躍力を必要とするのだ。
よく「夢」を売るのがファッションビジネスだと。言う人がいるが、つまりそーいうことなのだ。
「可能性」や「感じ」、「イメージ」は一人一人異なるものだから、だからこそ、洋服の販売において等価性は成り立ちにくい。(誰もが知っているブランドを記号としてまとうのは手っ取り早い。)
むしろ、等価以上の効果をもたらすこともあり得る。
それを伝える?イメージを喚起させるのが販売という仕事の醍醐味である。それはオリハシにしか売ることの出来ないものになるから。
オリハシの大学時代からの友人で電通に勤めるI君は、飲むとかならず、「俺等の仕事は電波の商売だからさ、軽いんだよ。うすっぺらいっていうかさ。。。電波は目に見えないでしょう?空気商売って言われてるんだよ。」と少し嘆き気味にこうもらす。
それはまるで「オリハシは目に見える『服』のこだわりみたいなものを伝えてるからいいよな~」みたいな事も言われたことがある。
それを聞くたびに思うのだ。
「違うんだよ、Iよ。
オレだってかなり虚構を売っているんだ。想像でしかない可能性をいかに喚起させるか?が販売の要諦だったりするんだ。けっこう俺たちは似たもの同士なんだよ、実は。。。」と独白するのだった。
もちろん、服のスペックや性能、価格、素材、ディテールへのこだわりなどを比較考量する男性客っていうのは多い。
しかし、ナクールがお店として提供できる付加価値というのは実は、買い物しているときのくつろいだ時間であったり、だべってクダまいてすっきりすることだったり、あるいは、それを着て出かける近未来のイメージだったりするのだ。
それは、その一人一人の感覚は空間的に表象することはできない。内田氏はそれを「恋」にたとえて説明している。
このメタファーはとてもおもしろい。
その人を見ると胸がどきどきして、身体が熱くなる、その感覚は空間的に表象可能でしょうか?無理です。
それは恋が時間的な、不可逆的行程を進む現象だからだ。好きな人が遠くに見える。だんだん近づいてくる。表情や声が認識できる。香水が匂う。息がかかる。肌の熱さが感じられる・・・・・・という時間の流れの中で、「この人が好きだ」という感覚は高速度で亢進してゆく。
この「感じは」生身の僕以外の誰によっても追体験不能ですし、僕自身だってその人に対する愛情がふっと冷めてしまったあとは、二度とその「感じ」を追体験することはできない。
「生身の僕以外の誰によっても追体験不能」ってところがオリハシの目指す、提供したい付加価値です。