久しぶりに本ネタを挟みます。
「国境の南、太陽の西」(著:村上春樹)
バブル絶頂期ごろの東京が主な舞台。
主人公の僕は一人っ子という育ちに不完全な人間という自覚を持ちながら育つが成長と共にそれを克服しようとする。結婚や「ジャズを流す上品なバー」経営の成功などで裕福で安定した生活を手にするが「僕」の存在の意味を改めて考える。そんな時にかつて好きだった女性が現われて・・・ってな内容。
ジャズバーの僕は言う。
「僕には僕なりのささやかな哲学があるんだ。
店の経営者というものは、自分の店の客にできれば、こういう恰好をして来てほしいと望む恰好を自分でもしているべきなのだ。
僕がそうすることで客の方にも従業員の方にも、それなりの緊張感のようなものが生まれるのだ。」
と。
うむ、飲食業であってもその気持ちはどこか分かる気がする。
たまにお客さんに言われることがある。
「ごめん、こんな恰好で来ちゃって。。。」と。
こんな恰好とは、つまり、スェットパンツや、ちょっとそこまで。。。的な恰好のこと。
基本的なスタンスを言おう。お客様がどんな恰好で来店されようがオリハシの至上命題は「売りあげること」であるからして別に問題はない。
逆に、「ええっ、そんな気を使わせちゃって申し訳ないねぇ~」と思うと同時に「嬉しい」。ものすごく、強烈にうれしい。
ナクールに行くのに「そんな恰好では行けない。」
その緊張感を持って頂けている。という事実に喜びを感じずにはいられない。
オリハシのささやかな思いをくみ取ってくれてありがとう。
そういう喜びなのだ。
ま、ファッション屋だけに自分の恰好が商店街と同化したら終わりだけどね。