KYね。
そりゃ、大事なことだとは思うよ。
だけどちょっと意識過剰じゃないだろうかね?と思うのはオリハシだけだろうか?
今日の読売新聞でも、「日常生活で『まわりの空気を読むこと』が重要であると考える大学生が9割に上るとこが、首都圏5大学の学生達の調査で分かった。」と。
で、そのプロジェクト代表さんの分析によるとだ、
「親しき仲にも”空気”があり、周囲から孤立することを恐れて過剰に適応しようとしている。」とな。
う~む、当今の学生さんも大変だね。
その場の周波数のようなものに同調する能力って確かに大事だと思うけどさ、そればかりにエネルギーを割いてる気がするんだよね。
で、そのチューニングが合わないやつを見つけて排除するような事態になってないだろうか?
「あいつKYだよな」って。
はっきり言って「たいした空気」でもないのに無理して同調しようとする必要なんかないんじゃないだろうか?
そういう周波数や文脈みたいなものの「誤読」や「ミス」が許せないっていうのはどうか?と思う。そーいう態度は大嫌いだ。
「場の空気の読めないヤツ」ともそれなりに仲良くコミュニケーションとれたほうが、楽しいと思うけどなぁ。。。
オリハシの場合は商売人だからさ、ちょっとこの人、空気読めないよなって思っても、上手にコミュニケーションとったほうが商売上、圧倒的に有利だからね。もちろん、そーいう人にイライラさせられる場合も多いけどね。それでも空気の読めなさ加減、読み違い方っていうのは人それぞれにおもしろいもんだと思うけど。。
つまりさ、「場の空気が読めないやつとは一緒にいたくない」と宣言するのはその人の勝手だけど、世の中の全員が「空気読める能力だけ」を選択的に発達させた場合、もっとみんな苦しくなるのじゃないだろうか?
ま、言ってもオリハシの場合は常に損得勘定っすよ。(笑)
セレクトする洋服では全員に気に入って貰えないのは分かってるから。
つい先日も閉店の時に「車止めちゃダメだよ」的なポールの鎖をしてたら、飲み帰りのサラリーマン二人が通って。。。
「おおっ、こんなとこにこんな店があるよ。」
ディスプレイを遠目に見つつ。。。
「あれ、かっこいいな~」
「入んねぇよ~」(ちょっと太めなかたでした。)
すかさずオリハシ君、一言。
「そーでもないですよ。」(ニコッ)
二人はビックリしたように。。。
「あっ、今度、寄らせてもらいます。」
その人にとっては「こんなとこにあるお洒落な店は空気の読めない店だ」と思ったかもしれませんね。
自分のことはさておき。
多少、空気なんて読めなくたって、自分自身で正面切ってぶつかっていきながら、切り開いて生きてる人をオリハシはたくさん知ってます。
もちろん、繰り返し言うように、「場の空気を読むこと」は大事だと思う。
でもそれは「自分がみなさんにどんなお役に立つのか?」と問うためであって、「空気が読めないやつ」を探し出して排除するというのとは方向性が全く違うのではないか?と。(商売人的発想だろうか? 笑)
とにかく孤立を恐れずに!だな。