Styling log

2009年2月12日(木) 真面目の意味

今日は暖かいですね。3月下旬並の陽気だそうで。。。
春物も欲しくなってくるでしょ?
木曜日は営業してても通常はブログを更新しないんですけど、ちょっと今日は書いてみようと思いました。
10年前の寒かったあの日の記憶にけりをつけるために。
「父の死」についてそろそろ真剣に語るべきではないか?
それについて落とし前をつけよう。と。
1999年の2月11日。
初めて臨終の場面を見た。
人はこんなふうに死んでしまうのか。
いや、こんなに苦しんで、悶絶してで死んでしまうものなの?
もちろん最期は意識もない、モルヒネで感覚だって麻痺してるわけだ。
それでも苦しそうだった。
それは一言で言えば、壮絶な死だった。
自分の親からあのような死を見せられたら、好むと好まざるに関わらず、どこか人生観のようなものが変わってしまうのは必然ではないだろうか。
少なくとも自分の中では何かが変わった。
「縦隔腫瘍脂肪肉腫」
いくら「人と同じことをするな」って口癖の父でもさ、ちょっと待ってよ。と。
病気までもそんなに珍しいやつにかかってどうすんだよ。
癌なら癌で人並みなやつにしとてくれ。と。
今ではそんな風にも思える。
12月、暮れも押し迫った時期に一人で病院に行き、主治医に言われる。
まるで、ドラマからそのまま持ってきたような台詞だった。
「悪性です。再発後の進行が極端に早い。転移も見られる」と。
「術後で体力が回復してないから再手術は無理。」
「このままだと桜の時期までもたない。」
と。
万が一、効くかもしれない。と言われる抗癌剤。この治療が最後の頼みってわけだ。
「覚悟してください。」
そう言われたって困る。
こんな時、何が出来るんだ?
ただただ事態が悪くなり、蝕まれていくプロセスを見守ってろ?
そう言うのか?
年末から正月、そして一月。と本当に辛かった。
徐々に蝕まれていく父を間近で見ているのだ。
本人も苦しいだろうが我々家族も苦しい。
1月早々の抗癌剤治療もまるで効果なし。
なんだか副作用で余計に悪くなってるように見える。
縦隔というとこに出来た悪性腫瘍、その肉腫がみるみる大きくなり肺を押しつぶしていくのだ。
とにかく呼吸が苦しそうだった。
10日の夕方、営業会議中に携帯が震える。
すぐに会社を抜け出し病院へ向かう。
もう死を待つだけの個室に入った時は、全身を使って呼吸しているように見えた。
玉のような汗が噴き出し、抗癌剤の副作用もあり意識は朦朧。各所に黄疸のようなものも。。痰が詰まるので一定間隔で痰をとる。
それでも心臓は負けじと活動し、呼吸する。
そのたびに身体が大きく膨れあがるように見える。
生命の力を感じずにはいられなかった。
「生きろ!」
全身を使って自分達に訴えているように見える。
父は全身全霊で戦っていた。
これは見届けねばならない。
結局、父は11日の朝日を迎えられなかった。
最期は痰が詰まっての窒息死である。
「すげぇ、がんばったよ。おやじ。」
声をかける弟も震えていた。
「あとはオレに任せておけ!ありがとう。」
そう言うことが精一杯だった。
あの日から変わった。
そう思う。
では、どう変わったのか?
漱石の「虞美人草」の一節。
宗近君が小野さんに打つ演説。これが一番しっくりくる。

「~略~此処だよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらでもある。皮だけで生きている人間は、土だけで出来ている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのは勿体ない。真面目になった後は心持ちがいいもんだよ。君にそういう経験があるかい」
小野さんは首を垂れた。
「なければ、一つなって見給え、今だ。こんな事は生涯に二度とは来ない。この機を外すと、もうダメだ。生涯真面目の味を知らずに死んでしまう。死ぬまでむく犬のようにうろうろして不安ばかりだ。人間は真面目になる機会が重なれば重なるほど出来上がってくる。—-法螺じゃない。自分で経験して見ないうちは分からない。僕はこの通り学問もない、勉強もしない、落第もする、ごろごろしている。それでも君より平気だ。~略~」
「僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからというより、なれるからといった方が適当だろう。真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据わる事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が現存しているという観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧みに動いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へたたきつけて始めて真面目になった気持ちになる。安心する。実をいうと僕の妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。—–どうだね、小野さん、僕のいう事は分からないかね」(「虞美人草」著:夏目漱石 ワイド版 岩波文庫367-368頁)

オリハシにとって2.11は「ときどき真面目になれる」原点回帰の日なのだ。

もっと読む

Go more

Topics

新丸子の写真館「写真道場」さんとのコラボレーション企画、CRS活動としての洋服ポスト・・・etc

  • nakool style in 写真道場 2024
  • nakool style in 写真道場 2023
  • nakool style in 写真道場 2022
  • nakool style in 写真道場 2021
  • nakool style in 写真道場 2020
  • nakool style in 写真道場 2019
  • nakool style in 写真道場 2018
  • nakool style in 写真道場 2017
  • nakool style in 写真道場 2016
  • nakool style in 写真道場 2015
  • 洋服ポスト武蔵小杉 by nakool

VOICE of nakoolistお客様の声

中学生のころから通学時にナクールの前を通っていて、かっこいいなぁ~って思っていて印象に残っていました。大学生になって周りがお洒落に気を遣うようになって「そういえば地元にかっこいい服屋さんあったな」と思い出してから来るようになりました。
川崎市中原区、20代、大学生、N様