たまには普通に書いてみよう。
ま、書くと言うより、語りに近いですけど。
なんか、ナクーリストのスタイル写真とオリハシのコメントばかりの日記に自分が飽きてきていたのだ。
いや、それこそがオリハシ日記の真骨頂なんだからいいじゃないか。
そういうかたもおられるかもしれない。でもオリハシ自身が納得いかない。
あれも書きたい、これも書き散らしたい。
そういう欲求が出てくる。
特に他の人のギュンギュンくるような文章を読むと。
刺激されるんですね。
だけど、こうやってはじめるまでにおっくうになってしまって、ついいつもの手癖?!、スタイル紹介のブログにはしってしまうのだ。
これはよくない。
絶対によくない。
そう、とにかく初めてみることが大事なのだ。
だから今日は語ってみる。
実は昨日、思わず、ぼやいてしまった言葉がある。
それは書かない。
でも、これは良くなかった。反省している。
この12年のうちに、初めて漏らしたぼやきの内容だったので、ちょっと自分自身をも損なうものだった。
どうした?確かに日々、自分自身が削られていくような感覚になって、底知れぬ恐怖を感じたりするのはわかる。
だからといって、ぼやいたり、がっかりしたり、愚痴ったりしてるほど人生は長くないぞ、オリハシ。
そうだ。
今年も、もう7月。
今年もあと半分である。
一日、一日を大切に生きていきたい。
気がついたときからが勝負だ。
エレファント症候群。聞いたことありますか?。
インドでは、つかまえた象を調教するために、まず最初に象を頑丈な竹にくくりつけておくのだそうです。
象は、逃げようとさんざん暴れ回って、それでも逃げられないと分かると、やがて逃げようとするのを諦めてしまうそうです。
その後は、簡単に抜けるような小さな杭に細い紐で象を結んでおくだけで、象は逃げようとしなくなる。
逃げようとすれば逃げられるのだけど、すでに観念してしまっていて逃げようという気になれなくなっている。
そういう状態のことエレファント症候群というそうです。
同じ話を魚のカマスにたとえた話で最近、読みました。
1.水槽に一匹目のカマスを入れておく。
2.水槽にエサをやると、カマスはエサを食べにそこまで泳いでいく。
3.次に水槽の真ん中に透明な仕切り板を入れる。
4.仕切り板で区切られた右側にカマスがいるとして、その向こう側の左側にエサを出す。
5.カマスはエサを食べに行こうとするが、仕切り板にぶつかってエサを食べられない。
6.4~5を繰り返すうちに、カマスはエサが水槽に投げ入れられても食べに行かなくなるのだそうです。仕切り板を取っても、それは変わらない。
水族館などで、しばしばこの方法が採られているそうです。
何度も失敗を繰り返し、やがてチャレンジすることを止めてしまう。
「壁」があると思い込んでいるが、実際にはそんな「壁」などないにもかかわらず。自らの経験の積み重ねや、慣習・常識が壁をつくってしまうのです。
知らず知らずのうちに、自らの限界を設定してしまう。というわけですね。
で、その先の話。
エサを食べるのを諦めてしまったカマスがいる水槽に、もう一匹、別のカマスを入れるたらどうなるか?
再度、エサをやってみる。仕切り板はもちろんありません。
そうすると、もちろん、二匹目のカマスはエサに食いついていく。
なんと、それに引きつられるように最初の一匹目のカマスも動き出すそうです。
繰り返し長い時間をかけて取り組んでいるものほど、いろんなこと、様々なことがわかってきて「明らかに見極めてしまう」(諦めるの語源だそうです)
でも、気がついたとき。
明らかに見極めたときからがスタート。
馬鹿といわれようが、なんと言われようが、勇気をもって、そのさきへ進んでいきたいものです。
自分の固定観念や常識を覆す「二匹目のカマス」を自分の内に育てるためにも、普段読まない本や文章に接していきたいです。