こんばんは。オリハシです。
今日はファッションの話はお休み。たまにはいいですか?
ワールドカップ観戦の合間に2度、立て続けに一気読みした本です。
著者、國分功一郎さんの本は以前「暇と退屈の倫理学」を紹介しましたが、今回の『哲学の先生と人生の話をしよう』は文字通り、人生相談形式になっていて、より読みやすく、「おおっ!そうくるか!」という知見に溢れていました。ほら、こんなに付箋が。
「哲学の先生と人生の話をしよう 著:國分功一郎」
面白いトピックはいろいろあって紹介しきれないんですけど、一つ紹介しておきましょう。
「プラス思考はなぜ可能になるのでしょうか?」という小話。
以下、ちょい長いけど引用。
プラス思考は様々なことを考えずに済ますことによって可能になります。世の中に確実なことがありえない以上、何ごともよい方向で考えるプラス思考は信仰でしかありえません。そして、現実に起こる様々な事柄は、この信仰を揺るがすものです。当たり前です。物事は悪い方向に向かうこともあるからです。
それにもかかわらずプラス思考を維持するには、悪い方向に向かっている物事から目をそらさねばなりません。そうやって目をそらしてはじめて、何ごとも良い方向に進んでいると考えるプラス思考が可能になる。つまり多くの事柄を考えないことによってこそ、人はプラス思考でいられる。
しかし、ものを見ないということにもエネルギーが必要です。目に入ってしまうことを無理矢理に押しつぶして抑圧しなければならないからです。抑圧には大変なエネルギーが必要とされるというのもフロイトが言っていたことです。
したがって次のような結論が導きだされます。プラス思考の人は、そもそもたくさんの事柄を考えないで済ましており、また、たくさんの事柄を考えないで済ますために多大なエネルギーを必要としているから、考えられる事柄が限定されている。ということは、プラス思考の人はあまりものを考えていないということになります。(211-212頁)
これはね、自分でお店を15年やってきたからわかるよ。もうね、考えられなくなっちゃうし、ギリギリ決断しなきゃいけないことばかりだから。
無意識に「ある程度、大怪我しないところで手を打とう」ってやってると思う。そう、そういうとき「なんて自分は凡人なんだ!!!」って思うんだよね。
自分の弱さと向き合う。
「昨年まではこうだったから、ここは思いきって・・・いや、ちょっと待て、もしかしたらこういう可能性も?」っていうことの連続。
物事は悪い方向に向かうこともあることを理解した上で、どこまで、少しずつでも「勇気」を持って挑戦できるか?がいつも自分の課題だね。
この人の話で興味を惹かれることに共通するのは「情報量」についての話なんだな。
「人間はものをあまり考えたくないので、基本的に情報を選択的に吸収している。」っていうことをいつも言ってる。
「運がいい」ってことの考察もおもしろいよ。
気になる方は是非、読んでみてください。