仕事で月に1回から2回、武蔵小杉にくるお客様がいる。
いつもナクールの前を通り、気になっていたところ、自分の好みのブランドがディスプレーされているのを見つけて勇気を出して入ってきた彼。
「仕事で疲れきったあとに、ナクールに寄ってオリハシさんといろいろしゃべりながら、試着して買い物して帰える、これがいいんですよ!」「よし!またがんばるぞ!という気持ちになって帰れます」彼は興奮して言ってくれる。
たったそれだけのこととは言うつもりはない。だけど、人によっては「たったそれだけのこと」
服を買う、たったこれだけのことで精神的なギアチェンジができる。
たかが服、されど服
戯(ざ)れ言葉
服はしょせんうわべだと人は言う。その人の現実を繕い、ときに偽るものだと。服ごときに人生のすべてを注ぐのは愚かだとも。が、服は人を支えもする。受け入れがたい現実を押し返すため、はねつけるためにも服はある。そうした抵抗、もしくは矜持(きょうじ)を人はしばしばその装いに託す。服は、折れそうな心をまるでギプスのように支えてくれる重要な装備でもあるのだ。(鷲田清一)
朝日新聞「折々の言葉」から
戯れ言、大いに結構じゃないか。
人はモノだけでは幸せになれない。
その服にオリハシはちょっとした魔法をかける。これがリアル店舗の醍醐味じゃないか。
ボクが本当に喜んでるのがあなたに伝わってるんだと思う。
服とお金以上のものを交換してるんだな。