僕もこういう商売をしているので、いろんなことみんな気になるんだろうなーってね、思うわけですよ。
で、知りたいくせに聞き出す術がなくて、分かった風なことを宣う人って損するよね。
だからじゃないけどさ、「知らないくせに、わかったようなこと言うなよ」という雰囲気をそれとなく醸し出してるんだな、意識的に。
知りたい彼は、ただ知りたいだけで、別に批評したいわけじゃない。だけど、こっちにはまるで批評に聞こえちゃうというなんともおそまつな結果になるという。
「実際にやりもしないくせに、なんだかんだ言うなよ」という恥ずかしい気持ちに本当になっちゃうわけだな。
そんなときは「腹が立ったら自分にあたれ、くやしかったら自分を磨け」(by村上春樹)精神。
実践と批評が一致しなかったらいけないのか?と言えばそんなことない。
腹が立つ時点で青いのよ、僕が。まだまだ自分を磨かないといけないねー
三浦しをんさんのエッセイが答えてくれてる。
実践と批評が一致しないと納得できないほど、弟は若いのだ。たとえばおいしい料理を食べて、それを作ることはできないけれどおいしいかまずいかは判断できるのと同じように、バスケットができなくても、そのバスケット漫画がおもしろいかつまらないかはわかるものだ。でも弟はそのことをあっさりと受け止めることができない。実際にやりもしないくせに、なんだかんだ言うな、という気持ちになるのだろう。
映画の批評などを読むとき、彼は特にそういう気持ちを露わにする。自分が映画を撮れるわけでもないくせに、他人が作ったものに文句を言うなんておかしい、というわけだ。真の意味での創作、真の意味での批評は、経験や実践とはまったく違う次元にあるものなのではないか、と私は思う。実りある映画批評を、映画を撮ったことがない人間がすることは当然可能なのだ。「自分でもできないことを人に求めやがって」と、つい思ってしまうらしい弟の青臭さにニヤつく。そういえば私も、弟と同じようなことを感じてぷりぷりしていた時があった。
(【しをんのしおり】 158頁-159頁)
でもね、話はちょっと違うんだけど、
聞き上手な人、インタビュー上手な人ってね、世の中にはいてさ。
特に常連さんになってくるとね、僕も気を許してるからってのもあるけど「オリハシさんの商売の方法」みたいなことを上手に聞き出す人っているんだよねー気持ちよくしゃべらすわけよ(笑)
僕も正面切って身銭きってやってますからね。開けっぴろげですわ。
こういう何気ない会話一つ一つが信頼を深めるはず。そう信じてるから。