村上春樹の「騎士団長殺し」はもちろん買ってるんだけど、今、a妻がお楽しみの最中。
まぁ、じっくりあとで読みますわ。
でも、あれ。騒ぎすぎだろ。なにも深夜0時から販売することないと思うけどなぁ。
発売日、本屋でレジに持って行くのがちょっと恥ずかしいわ。1Q84の時も恥ずかしいなぁーって思ったけどさ。
TVで騒ぎすぎだよ。そうなると凄く興味がなくなってくるあまのじゃくな自分だったりするんだよね。
今、オリハシに勇気を与えてる作家No1は伊坂幸太郎なんだけど、(若いかな?^^でも同世代なんでいいんです)
彼はこんな表現をしてる「反動についての話」。ひっそりと静かなバーを経営するマスターが大勢が集まっておこす群衆の行動に惹かれるという。それは人から見れば正反対の気質に感じるわけ。
マスターはこう言い放つ。
「反動じゃないかな」
「反動ですか」
「物事の大半は反動から起きるんだ。たとえば」いつの間にか、マスターの言葉が丁寧な口調から砕けたものに変わっていることに、俺は気づく。海岸に押し寄せる波の勢いが、時間の経過とともに違う表情を露わにするのと似て、ごく自然に口ぶりが変化していた。「過激な映画が流行った後は、穏やかな恋愛映画が流行るし、ドラマの時代の後には、ノンフィクションの時代が来る。天才肌のサッカー選手がもてはやされた後は、努力家の野球選手に注目があつまる。穏やかで繊細な物語が重宝がられれば、次には骨太でダイナミックな冒険小説が歓迎さえる。みんな、自分だけは逆へ進もうと反発するが、けれど、それが新しい潮流となる。ありがちだ。」【「魔王」著:伊坂幸太郎 141頁】
これはさ、ファッションを生業として糊口を凌いでるオリハシとしてはいつも考えていることなのよ。
みんなも自分の反動について、ちょっと思いめぐらしてみてよ。
あるでしょう?そういうの。
さぁ、その中で、自分の軸足の置き所はどこなのか?
っていう問いをいつも自分に向けるわけ。
ファッションについては自分なりに経験してきて、決して器用ではないんだけど、経験しながら要領を得ていろんなスタイルを自分がすることができるのよ。(様々なテイストの友人・知人が多かったっていうのも大きな要員。)
それがコアなナクールであり、オリハシ的なるものなんだけど。
自分が提案するのはやっぱり人とはちょっと違うぞ!っていうところ。
ある一定量を超えた人気はいらないってことだな。(まじ?!知らなかった!)
だから、村上春樹についてはもうあまり語りたくなくなったってわけ、いや、一つだけ言っておくと、たとえみんながそっぽをむくようになっても村上春樹の本を買い続けるよ。
それがファンってことだろ。
っていうのをナクールのお客様から18年かけて教えてもらってるよ。