今、こんなこと言うと怒り出す人もいるかもね。
売りっぱなし、とかそういうことじゃないよ。
村上春樹の新刊「騎士団長殺し」から
唐突にラテン語を持ち出して騎士団長に説明させるシーンがあって驚いた一節です。
「caveat emptor。カウェアト・エンプトル。ラテン語で『買い手責任』のことである。人の手に渡ったものがどのように使用されるか、それは売り手が関与することではあらないので。たとえば洋服屋の店先に並んでいる衣服が、誰に着られるか選ぶことができるかね?」(騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編122頁)
解釈の自由度のことだと思うんだ。
小説だって、人がどんな感想を持とうが基本は自由。その人がそのように読めたという理解が正解。1枚の服だって、購入した人が20代だろうが、60代だろうが、着こなしは自由ですよ。っていう。売り手は関与しませんよ、と。
オリハシだって、基本そうよ、自由に着てねって思ってる。
だけど。
なるべく「いい感じで着て欲しい」っていうアドバイスをどんな年代の人にもする。
デザイン、サイズ感、色遣い、素材感。もうこれだけで誰かに着られることの的を絞ってるわけだからね。
すべて企画した人の意図が込められているから。それをオリハシなりに解釈しつつかみ砕いて伝えたい。
それが上手に伝われば、どんな年代の人が着たってかっこよく、雰囲気良く着こなせるはずなのよ。
買い手責任だけでは届かないレベル。そこがナクールで買う人のニーズだから。
こなれたい。こなしたい。着熟したい。(←きこなすと読む)
結局はそのちょっとしたアドバイスの積み重ねがお店のイメージを保っていくことにつながるって考えてる。
よく耳を澄ませ、よく目をこらし、心をなるたけ鋭くしておく。それしか道はあらない。(騎士団長風)
白いハイカットスニーカーとリブパンツ、ジョガーパンツのバランス、よく見といてください。