こっちはこれだけ情報出してるんだからお前も出せよって。
そうやって怒ってる人を見ると、なんとなく違和感を覚える。気持ちは分かるけど「それを言っちゃぁおしまいよ」って思う。
話しながら「こいつにはこれ以上出さない(話さない)」とかその都度、判断していけばいいし、
それをして「ギブアンドテイク」を声高に言う人には近づきたくない、なぜならちょっと恐い。
オレはギブしてんだから、何かよこせって?しかも即時性をともなって。。。
もちろん、恵んでくだせぇ、恵んでくだせぇ、頂戴、頂戴ばかりの人間には辟易とすることはわかるよ。
しかも家族でも、友人でもない、これはビジネスですから、と。そうだ、おっしゃるとおりだろう。
でもさ、自分は与えているということを意識しすぎてる人ってさ、自分が他から与えられてること、知らずに得ていることに不感だったりしないか?
そこを吟味できるのが知性だと思うんだけどね。
そういう自分だって与えられても上手に返すことが、与えることができなかったことがある。そのことをことあるごとに思い出しては、恥じ入るし、自分が情けない気持ちになるよ。自分は良かれと思ったことをしてたつもりでも、相手を損なってしまったんだから。その人は待てる人だったこそ辛い。
村上春樹はどこかでこんなことを書いてた。
「人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません」って。
少なくとも誰かのためになる何かをパスし、与え続け、直接は見返りを期待せず、
逆に他のことから「あ、今、オレ、気づきがあった、与えられた、ありがとう」と。
そういう身体感度を高めた状態に自分を保持しておきたい。
上手に返せなかった人のことを思い浮かべながら、「あのときはありがとうございます」と誰か別の人にパスを出し続けたい。
惜しまずに与えるものは、常に与えられるものである。(『風の歌を聴け』著:村上春樹)